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friends are strangers

音楽とベースと酒と所沢

終わらない反抗期

今日も鼻をすすりながら慣れないgaragebandをいじったりしている。傍らには愛用しているフェンダージャズベと、兄のお下がりのレスポールカスタムショップ(epiphone製)が置いてある。改めて楽器を眺めて思うのは、よくもまあこの年になっても音楽やってるものだなあ。誰かに評価されたわけでもない。誰かの為でもない。ただ好きなだけで自分で曲作ったりベースをバンドで弾いたりしてるのだから。

先日スタジオに行くと高校生の集団がロビーにたむろしていた。ただギターを弾くだけで楽しい年頃だ。男女混じり合いながら「こんどのライブは東京事変やってみようよ!」って話す姿は輝いて見え、むしろ眩しすぎる。僕の周りも学生の頃は音楽やってるやつなんてゴマンといた。プロを目指しているやつ、本職の部活と掛け持ちしながら楽しくやっているやつ。軽音楽部には100人以上の部員がいたもんだ。大学になり、音楽を続けている奴は10分の1に減って、また一人また一人と辞めていった。続けている奴はプロになった奴もいれば、僕のように地味に続けている奴もいる。

「まだ音楽やってるんだね〜」とよく言われるが、ただ過去にすがっているだけなのか、諦められない何かがあるのか、本当に好きだから続けているだけなのか、たまに分からなくなる。音楽を辞めて新しい生活、楽しみを見いだす友人達に劣等感を感じているのか、優越感を感じているのか、どっちなのかも分からない。

 

 

初めてライブハウスに行ったのは高校一年生の頃。場所は渋谷のclub asiaだった。僕はまだベースを弾き始める前の事だから多分高一の夏だったと思う。

中学生の友人Y。当時僕とYは、Yの兄が元々やっていたバンドの大ファンだった。東洋大学の軽音楽部で結成されたそのバンドは、ピープルという名前で、ジャンルは何だろう。青春パンクの部類に入るのかな。Yの兄が抜けた後も活動を続けていて、ライブハウスでコツコツと活動をしていた。

とにかく初めて夢中になったバンドで、Yの家にあるデモ音源やスタジオで録音したと思われるテープ、ライブが収録されたMDを擦り切れるまで聞いていた。バンドのホームページのBBSに初めて書き込みをした瞬間の緊張。今も覚えている。どこの誰かもわからない高校生の書き込みを快く受け入れてくれ、「ライブに遊びに来てね!」と行ってもらえた。憧れて憧れて一年。ついに初ライブ。高校生にとってなけなしの三千円を握りしめて初めて訪れた渋谷。そしてライブハウス。メンバーが入場してくる姿。演奏する姿。全て今でも思い出せる。あんなに憧れたピープルというバンドのメンバー達が今目の前にいる!!この時の興奮は、後にフジロックで初めてレッチリを目の前で見た時を超えていたと思う。

 

ライブ終演後、「BBSで書き込みさせてもらった○○(ハンドルネーム)です!!」と話しかけた時、「おお!!○○かあ!よーし一緒に打ち上げにいこう!!」と行ってもらえた。皆はビール。僕はジュースを飲みながら終電まで沢山話した。

彼らはあくまでアマチュア。インディーズバンドである。ファンも決して多くない。彼らの客の大半は彼らの大学の友人達だった。それでも当時の僕にとってはずっとずっと憧れたスーパーヒーローだった。そんな人と直接話せた興奮は、今も忘れられない。

後に彼らはメジャーデビュー目前で解散。その後の消息はさっぱりわからない。音楽を辞めたとも、続けているメンバーがいるとも聞いている。僕の10歳は上だったから、メンバーはもう40前か。僕はベースの方に教えてもらったレッチリとsuicidal tendenciesを聞き始め、ベースを始めた。今も続けている。CDも作った。ライブも沢山やった。結婚だってした。

木原さん、三宅さん、奥田さん、野瀬さん。「おれ、皆さんに影響されてバンドはじめて、今もやってるんですよ!」って言いたい。もう覚えていないと思うけど、いつかまた会えるといいな。

 

きっとあの感動があったから僕はまだバンドをやっている。もちろんそれが全てではないし、その後に覚えた人前で自分を表現するということの快感があったからだろう。でも他人にはわからない16歳の少年にとっての小さな大事件は、間違いなく僕の人生に影響を与えてくれたと思う。

ふと思い出す原体験。そんな話を今日は書いてみた。

 

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実家にまだまだデモがあるけど、僕の宝物です。