friends are strangers

音楽とベースと酒と所沢

聲の形と汚い自分といじめについて

 

 話題の作品ようやく読んでみた。週刊マガジンの読み切りで凄まじい反響を呼んで一時マガジンが店頭から消えたとか言われてたなあ。話題が大きくなりすぎて結局連載されて、何かの賞を取ったとか取らないとか。読んだ事無い人に向けてネタバレないように簡単に冒頭だけ説明すると、

ある小学校に女の子が転入してくる。その子は耳の聞こえない女の子。最初は仲良くなろうと頑張っていた同級生も、音楽祭の練習で耳が聞こえないためメロディを取れないことや、筆談のため授業が止まったりする事にストレスを感じ始め、次第に彼女をいじめるようになる。そしてそのいじめの主犯格の少年が主人公。

ここまでが一巻で、全七巻。続きが気になって一気に読んでしまった。

いやあ、、、、いやあ。本当にキツかった。まじで。特に一巻のいじめとか、いじめる側の心理とかさ。まず言っておきたいのが、女の子は何も悪くない。障害を抱えながら懸命にクラスに馴染もう、みんなと仲良くなろうと精一杯頑張っている。でもね、そのいじめをする側の心理が何か、わかるのよ。毎日楽しい学校生活を突然現れ壊していく存在が彼女。授業はいちいち彼女のせいでリズムが崩れる。先生の言ったことを逐一彼女に説明しなくちゃならない。意思疎通は筆談を通してだから中々思いがダイレクトに伝わらない。目の前にいるのにいちいちメールしてる感覚なわけでしょ?ここで若い副担任の先生がいきなり「みんなで放課後毎日手話を少しずつ勉強しましょうよ♪」って言い出すの。その瞬間のみんなの冷ややかな目ね。「ああ〜めんどくせぇ。。」って感じの。なんでそんなことしなくちゃならねーの?って思っていたときに、「わたし、、手話勉強してみます」って言った子に対して、「はい!○○さんの勇気に皆さん拍手〜!」って言う先生のノリ、雰囲気。その子に対してのクラスの目線。なんか、気持ち悪かった。この小学校の頃の、特に高学年の思春期の頃に感じた無理強いされる善悪というか、倫理観。今までの日常が崩れていく。その原因を作ったのは障害を抱えた転校生。これは、、、小学生には、いや大人でもどれくらいの人が心から彼女に優しくできるんだろう。「俺はそんなことしない!差別なんてもっての他だ!障害を持った人には社会全体で手を差し伸べなければいけないんだ!」っていう至極当たり前の、子供の頃から叩き込まれて来た倫理観が崩れて行く姿。これはね、、、見ててきつかった。俺は同じ状況に置かれた時この子に果たして手を差し伸べられるのか、、?って。道徳心で身を装った自分。お前の本心はどうだったんだ?本当は面倒くさい厄介ごとを抱えてしまったと思ったんじゃないのか?


音楽祭の練習で耳が聞こえない為に音程をしっかり取れない彼女に対してクラスメイトがいらだつシーンを見て、ある話を思い出した。

僕の知り合いが中学生の頃の話だ。体育祭の練習をしていて、特にクラス一丸となって挑む大縄跳び。大縄跳びは団体競技だから加点が多い。そのため各クラス凄く気合いを入れて練習していたんだけれど、その友人のクラスには知的障害を抱えた子がいた。先生の方針だったか、その子の親御さんの希望だったか忘れたけど、その子はクラスに交りみんなと一緒に大縄飛びを行う事になった。何度も何度も練習で引っかかってしまうのは、やはりその子だった。大縄飛びは残酷だ。引っかかってしまった場合、必ず毎回犯人が存在する。それは誰だかすぐにわかる。なんとしても勝ちたい体育祭。その勝敗に大きく関わる大縄跳び。でも彼(彼女?かわからない)のせいで大縄跳びは勝てない、、彼のせいで。絶対。でも勝ちたい。でも勝てない。引っかかっても笑っているだけで悪びれない彼(彼女)。勝ちたい。勝てない。

「あのとき自分たちはどうするべきだったのかな。先生の彼を加えて大縄跳びをするっていう決断は正しかったのかな。」

ふと友人はそんな言葉を漏らしたことがあった。僕は最初、「社会に出れば障害に関わらず色んな人がいるわけで、そんな理不尽なこと沢山出くわすわけじゃない。だから先生のした決断は正しかったんじゃない?」と言った事があった。でも、よく考えているうちにわからなくなった。結局知的障害を抱える彼にはクラスメイト達の少なからずの恨みの視線が向けられた。体育祭に勝てなかったクラスメイト達は苛立ち、彼への茶化しが増えたり、まあクラスはうまくいかなくなったわけだ。それって正解だったのかな。中学生っていう一番自分の感情をコントロールできない多感な時期。一番人生で残酷なことをしてしまったかもしれないあの時期、それって正解だったのだろうか。彼の言葉を思い出せば思い出すほど、僕は自分の言ったただの正論を疑うようになった。

いじめ問題っていうのは複雑で、でもやっぱり間違っているし、絶対にどんなことがあっても多数で1人を攻撃することは許されない事だ。絶対に。どんな理由も理由にならない。それでも苛立ってしまったり、汚い言葉を吐いてしまうことって誰しもあったでしょう?僕はこの話を読んで、ああ、俺も結局そういう汚い人間なのかなあと自分を嫌いになりそうになった。でもね、一つ言えるのがさ、そう汚い人間になってしまう瞬間って誰しもあるし、でもそれってずっとじゃないでしょ?24時間365日誰かを嫌って、憎んで生活してるわけじゃないでしょ?あなたにも誰かを心配したり、愛したり、その人の事を心から思う瞬間があるでしょ。それが人間だと思うから、 決して自分を嫌いになっちゃいけないと思う。みんなそうなんだよ。自分を嫌いになることって本当に簡単で、自分を好きになることのほうが何倍も難しい。だからこそ自分の汚い部分ばかり見る事はやめたい。もちろん反省はしなくちゃいけない。でもそうしているといつまでも立ち止まったまま前を向けなくなってしまう。

子供の頃、親や先生、大人達から教わった言葉、善悪、倫理観。誰かの為に行動出来る人間になれというような教え。大人になるにつれそれだけじゃ解決できないような場面を見たり、出くわしたりする時ってある。でもそれを知ったからこそ、いつか生まれるかもしれない自分の子供とかには、僕が親から教わったように、所謂正しい事を教え、間違った事をしたら叱る。そういう事をしていかなくちゃいけないんだな。そんなことを思った。優しくなりたい。誰しもそう思っているはずだもの。

この話もそんな人達の生々しい葛藤が描かれている。ああ、話題になるわなぁ。まあでも僕はこの登場人物みんな嫌いだなあ笑 「ちーちゃんはちょっと足りない 」もキツかったけど、別の意味でモヤモヤした余韻が残る作品でした。